資金も時間も病気さえも関係ない…誰でも望めば旅立てる話

私はよく旅をしますが、旅のために貯金はしていません。旅しながら旅資金を稼いでいます。
そんな私の状況は、私の周囲の人はみんな知っているのですが、よく「すごい」「才能がある」「よく出来るね」なんてことを言われたりもします。

でも私、何の特別な才能もありません。英語が話せることと、日本語が書けることだけで、ノマドワーカーになることが出来てしまいました。
才能と言えば、根拠なく「大丈夫だ」と思えることくらいでしょう。
誰でもやろうと思えば、なんだって出来ます。それは旅や留学だけではなく、何にでも言えることです。私の場合やりたいことが「自由な旅」だっただけ。

とは言え、私も最初からノマドワーカーだったわけではなく、最初はイギリス留学から始めました。
イギリス留学を考えている人は、EFでのイギリス留学もおすすめです。

今日は私がイギリス留学から世界に飛び出し、その後ワーホリを挫折して、ノマドワーカーになったその流れを時系列でご紹介したいと思います。

 

海外に興味を持ったきっかけ

いつから海外に興味があったのかなんて、覚えていないほど昔から、私は留学や海外生活をしようと思っていました。
そのきっかけになっているのは、間違いなくアメリカ生まれの元日系アメリカ人であった祖父母の影響です。特に祖父は大人になるまでずっとアメリカにいたので、日本語より英語の方が得意なのではないかという程、日本語が書けない人でした。

祖父の家に遊びに行くと、毎晩祖父が絵本を読み聞かせてくれました。祖父が私に読み聞かせてくれる本は英語の本で、それを日本語に翻訳しながら読んでくれていたんですね。
当時は翻訳のことなんてわからないので、Aという文字に対応するひらがながあって、パズルのようになっているのだと思っていました。なのであまり疑問に思わなかったのですが、今思うと英語を読みながら即時に自然な翻訳ができるのはすごいスキルですよね。
例えば「赤ずきんちゃん」なんかを読んでくれたのですが、赤ずきんが喋っている部分は、まるで女の子が話すような口調で、翻訳をしてくれていました。今思い出すと、ちょっと面白いです。

そんなわけで、当時全く英語がわからない私でしたが、いつかは祖父と英語で話せるくらいになるために、留学しようとずーっと思っていて、実際に21歳の時にイギリスに旅立ちます。
ここでのポイントは、海外で暮らすということについて、一瞬たりとも「○○だから出来ない」なんて思ったことがないということです。ただ自然と、いつかそうなると思っていました。
高齢だった祖父は、それを待たずに亡くなってしまうんですけどね。自分の人生に1ミリも悔いはないけど、高齢でも超元気だった祖父が亡くなるということを忘れていたのだけは、今でも残念です。

ちなみにイギリスにしたのは、当時イギリスのシンガーグループにハマっていたからという単純な理由です。でも結果、イギリス英語にハマってしまうので、イギリスにして良かったです。

奇跡のイギリスワーホリビザ

私のイギリス生活は、語学留学による学生ビザ(10ヶ月)→専門留学による学生ビザ(2年半)→1年半の日本滞在→先着順になったワーホリビザ(2年弱)で、計5年弱となりました。
ちなみに今だから言えるのですが、専門留学による学生ビザは当時ロンドンに沢山あったビザ取り学校で、きちんと授業はされていましたが、本当に通っている人は少なかったようです。

学生ビザの期間は、最初の半年を除いてあまり勉強していなかったのですが、勉強もしていないのに学生ビザでイギリスにいて、パートタイムとは言え仕事までしている自分に疑問を抱いていました。
当時は学生ビザでパートタイムの仕事をすることは合法でした。でも私は途中からあまり学校に行かなくなったので、グレーゾーンですよね。今はもっと厳しくなっているので、そういうことは出来ないでしょう。
そんなことへの罪悪感から、いつかイギリスで100%合法で働きたいと強く思っていましたが、どんどんビザのルールは厳しくなるし、方法がないように見えました。

学生ビザが切れて日本に帰国した私。でもイギリスには行きたい。学生ビザが取れそうでしたが、もうそれは嫌だ・・・。そんなことを思いながら短期の派遣やバイトで生き延びること約1年。奇跡が起きました。
イギリスのワーホリビザが2年になり、先着順になったんです。

これには私もびっくり。ワーホリビザが最初から2年なんて、イギリスだけです。しかも、それまで抽選だった超人気のイギリスワーホリビザが、先着順に!
その情報を得た私は、すぐに自分でビザ情報を見てワーホリビザを申請。当時制度が変わったことで混乱する中、あっさりと2年間のワーホリビザを手に入れました。
家庭の事情があって、2年間丸々は居られなかったのですが、それでもイギリスで合法で働くビザを手に入れました。

私にとってベストなタイミングで、私の都合の良いようにビザ制度が変わるなんて、今考えても私の人生の中で1番すごい奇跡です。
ここから私は、世の中は「やりたい・する」と思ったことが出来るように動いてくれるという信念を持つのでした。これはイギリスに行ってなかったら、絶対気づいてなかったと思います。

イギリスワーホリ生活では、スタバで働いたり現地企業でパートタイム翻訳者として働いたり、旅番組の日英字幕翻訳をしたり、毎月ヨーロッパ内を旅するという、とてもとても充実した生活でした。(旅番組は、Julian and Camilla’s World Odysseyという名前ですが、探しても東京に来た時のエピソードは見つかりません。。。)
ちなみにその間、日本の通信制短期大学にも通っていました。本当にやりたい放題です。

 

ワーホリはしごを計画するも死んでしまって断念

さて、充実したイギリスワーホリ生活を終えて日本に帰った私。
ヨーロッパの国々を旅したイギリス生活で、今度は世界を旅したい!という気持ちが育っていました。そして次は出来れば中南米に行きたいと思ってたんですね。
やりたい放題やって貯金がほとんどない状態だったので、1年後にオーストラリア→ニュージーランド→カナダとワーホリを半年ずつはしごして、カナダからグアテマラに飛んでスペイン語留学をしよう!という計画を立てます。
そこまでオセアニアに住みたいわけでも、カナダに住みたいわけでもなかったのですが、とにかく海外にいたかった。
働きながら旅をするということがしたかった。←ここポイント

・・・が、ここですごい事件が起きます。
日本帰国1年後、脾嚢胞というとても珍しい病気で手術をし回復したものの、その1ヶ月後に心室細動という発作で死んでしまったんです。

今生きてるので「死んだ」という表現は語弊がありますが、仮死状態とやらになり、数日間自発呼吸なし・意識なしの状態が続きます。
このことが原因で、1人で長旅が出来るほど回復する頃には、30歳を大きく超えてワーホリが不可能になったのでした。

心臓発作後の周囲の反応

意識なし状態から数日後、突然目覚める私。
そんな私に待ってたのはワーホリ断念だけではなく、当時すごく好きだった仕事の退職、短期記憶の喪失(特に心臓発作前数ヶ月間に出会った人に対してどう思っていたのかという感情面が欠落)、そして何より「もう海外に住むことはできない」という周囲の反応でした。

心室細動という発作で意識をなくした経験があると、ICDという機械を入れなければ簡単には退院させてもらえません。あと車の運転もできません。
ICDは定期検診があるし、発展途上国で壊れてしまったら取り替えるのが難しいし、何より心臓発作で死んだことで、心臓病を抱える体が弱い人認定されてしまったのです。
「海外旅行」は出来ると励まされたものの、発展途上国であるグアテマラでスペイン語留学をしたい話をすると、医師をも看護師も押し黙る。そして、家族は「意味がわからん」という顔をする。

でもね、ここで私の気持ちは全く折れませんでした。
心室細動で死んだのは、今から約7年前のことですが、去年から私海外滞在と日本滞在を3ヶ月毎くらいに繰り返す生活をしていますからね。
当時海外に行く話をして周囲に何と言われても、どんな反応をされても、「何言ってるかよくわかんない」状態。本当に理解ができなかったんです。

「なんで死ぬほどの不整脈を起こすくらいで、もうやるって決めてることを中止しないといけないの?私よくわかんない。」

本当にそう思っていました。そして今もそう思っています。

 

心臓発作後の生活

さてそんなわけで、2ヶ月間の入院生活を終え、退院した私には運動制限や仕事の制限が言い渡されました。田舎に住んでるのに半年間は車の運転も法律で禁止される状態。

でもヨガなら行けるだろ!とジムのヨガレッスンに通い、歩いて10分のスーパーにほぼ毎日通い、出来る限り動く生活。
正直すごく体力は落ちていて、歩くのも遅くなったし、歩くだけで息が上がったりしていたのですが、それでもやりたいことをやり放題。
しかも、だらだら過ごしても誰にも責められない生活に、結構満足していました。疲れたらみんなが優しくなるしね。

心臓発作1年後、念願の福岡に移住し一人暮らしを始めます。
しかしその1年後、また問題発生。福岡での職場が激務すぎて体調不良が続き、死ぬかと思いました。死ぬかと思ったので、主治医に頼んで診断書を書いてもらいあっさり仕事を辞めます。
「もう二度と会社では働かない」と強く心に決めた私。
失業保険をもらいながら、ライターの仕事を徐々に始めていったのでした。(ちなみにこれは合法です)

 

とりあえず好きなことをして暮らす数年間

激務のお仕事退職前に、サルサというダンスに出会っていた私。最初は週1レッスンから徐々に増やして、最終的には週に4回くらい通うほどに。
この間、アジア旅を数日〜2週間決行したり、イギリス+トルコの2週間旅をしてみたりと、ちょこちょこ旅もしていました。
失業保険をもらっていたので、もちろん求職活動もし、半分以上在宅作業で正社員にしてくれる会社に遭遇。ここでも奇跡を起こします。

しかし在宅社員をしている間に気づきます。普通の働き方はしなくてもよくなったけど、これじゃあ旅に出れないということに。

そんなわけで、そのお仕事も1年半くらいで辞めてしまい、ライター業をしながらサルサと旅に集中する生活を送るようになったのでした。当時はライター業だけで生活をまかなえなかったので、貯金をかなり切り崩しました。
でもやりたいことは全くセーブしたことないです。貯金なんて無くなったって、私はたくさんダンスして、好きなとこに行くんだと思っていました。

そんなマインドで生きること約1年。旅立つ決心をする出来事が起こります。

 

そして中米へ旅立つ

旅をしたい気持ちはあって、グアテマラでスペイン語留学したいという気持ちも消えていなかったけれど、福岡の生活が楽しすぎて、友達もたくさんで充実していて、なかなか重い腰が上がらず・・・。
しかしそんな時に、何故か友人が先に「グアテマラに行ってスペイン語勉強する」とか言いだしました。

これに大嫉妬した私は、その時点でグアテマラ行きを決め、その友人に遅れること2ヶ月くらいでグアテマラ行きを果たします。
タイミングってすごいなーって思うのですが、この時すでにグアテマラに仲良しの友達(グアテマラ人)がいて、さらにスペイン語も簡単なことならわかるレベル。そして、何と言っても長旅が出来るほどの体力と旅しながら生きていけるほどのライター収入が備わっていたのです。

そういうわけで、2018年3月からグアテマラ滞在を中心にした中米滞在と日本滞在を何度も繰り返し、今に至ります。

グアテマラだけではなく、他の中米諸国やキューバにも行けて、今回の旅ではヨーロッパに飛んで念願の旧ユーゴの国々+@を回る旅をします。

さて、ここで振り返って欲しいのですが、私は「働きながら旅をしたい」とずっと思っていて、それを今実現しています。そこまで住みたいと思っていなかったオーストラリア・ニュージーランド・カナダには、住んでいません。

つまり、本当にやりたいことは絶対やることになるし、やるって決めちゃえば、勝手に状況が動きます。ベストなタイミングでね。
旅もダンスも最初は反対していた家族も、医師たちも、今では応援状態ですよ。

だから留学やワーホリ、海外放浪、ノマドワーカー等々、「やってみたいけど出来ない」って思ってるのは、状況の所為でも周囲の所為でもなく、自分自身がやろうとしてないからです。本当は実はしたくないって場合もあるけど。

状況的に無理に見えても、周囲が「ダメ」って言ったりしても、全部ガン無視してひたすら「私はこれをする」って決めちゃえば、絶対に出来るように状況が動くし、自分もなんとなくその方向へ向かっていくので・・・
やりたいことがあるなら、誰も何も諦めないで欲しいなと思います。

こうして振り返ってみると、本当に私の人生って完璧で幸せだなーと感じて、とてもハッピーな気持ちになりました。

こんなの書き残そうと思ったのは、EFさんがこんな企画をしていたからです。こんな感じにブログを書いて、#eftravelstoryというハッシュタグをつけてSNS投稿すれば終わり!なのに参加賞がとても魅力的です。
留学やワーホリをお考えのみなさまは、ぜひEFさんで情報を集めてみましょう。英語だけじゃなくて、スペイン語留学など他の言語の留学も取り扱っていらっしゃいます。

ちなみにEFさんが運営しているイングリッシュライブは、私のおすすめオンライン英会話の1つです。
こんな素敵な企画をしてくださったEFさんに感謝をしながら、とても長くなりましたがこの辺で締めたいと思います。
誰もが自分の思うとおりに好きに生きて、幸せでいられますように。